海外旅行 pricelessな思い出
これは随分と前の話になるが、フィジーという南太平洋に浮かぶ島国にバックパッカーしたときの事だ。
そこは、通常日本人ならハネムーンで、外国人でも恋人同士とか夫婦で訪れる、まさにリゾート。男ひとりで、しかもバックパックをかついで行くようなところでは決してない。でも、僕は行った。それまでに何度か来た事があったので、様子は重々承知の上での行動だ。それでも僕は行った、ずんずん行った(僕は、一人でディズニーランド、スペースワールドのもいった経験がある。人に話すと必ず笑われるが・・・・そうなんかな~。僕は、一人で、自分の好きなように楽しみたい、そんな時が結構あるんだけどな)。
フィジーは、無数の小さな島々が寄り集まった島国である。首都はナンディーで、本島(島々の中では一番大きい)にある。ここには、世界的にも有名なゴージャスホテルが立ち並んでいるのだが、グアムやハワイといったわっさわっさした雰囲気はない。この島唯一の目抜き通りでさえ、50メートル位の舗装もされていない道に沿って、民芸品店、小汚いレストラン、スーパーマーケットが1軒・・・・どちらかというと閑散としている町なのだ。
でも、自然はいっぱいだ。なんといっても海がいい。残念ながら、本島の海岸線はもともとが粘土質の土壌なのか、あまり透明度はよろしくない。だが、本島をとりまく島々は実に綺麗な海を湛えている。このため、ほとんどのツアーリスト(日本人)が、1泊目はゴージャスホテル泊で本島観光(パイナップル園、ラン園観光。ラフティング体験<ゴムボートによる激流下り>、むりやりの民芸品買わされツアー)、2泊目以降は一つ一つがそれぞれリゾート開発されている小さな島々へと移動し、三々五々夢のひと時を過ごす。
タヒチでも有名な水上コテージ、1棟ごと独立したコテージ、小ぢんまりとしたホテル・・・・好みに合わせて泊まる事ができる、これも人気の秘密なのだろう。
僕はこの島で、インド系フィジー人のサムに出会った。♪チャラ ラー ララ ラー ララー・・・・・徳光さんがでてきそーだな。
僕はその時、南国の太陽を身体いっぱいに、誰にも邪魔されずに、浴びたいと思っていた。
何の下準備もなく空港に着くと(日本人ではありえない行動だと、現地日本ガイドに怒られた)、まず、入国審査でつかまった。そりゃそうだ。泊まるホテルも決まっていない、小汚い男ひとりのバックパッカー・・・・・かなりあやしいよな。何をしにきたのかしつこく聞かれた。
入国したら前出・日本人コーディネーターが待っていて「なんで予約もなしに入国した! どうするつもりだ、これから!!」とつめられた。そんな、怒んないでも~と思ったが、ひたすら謝り、翌日の離島へのチケットを手配してもらった。その日は本島のバックパックホテルに泊まった。
きましたよ~、南国の太陽を全身にこれでもか~っと浴びる瞬間が! 僕は、離島に渡るフェリーに意気揚々と乗り込んだ。船に乗っているのは、ほとんど日本人ハネムーナー。僕は、うきうきする気持ちを押し殺しながら、デッキで冷えたフィジービールを飲んでいた。
ハネムナーにも、色々な人がいる。男ひとりで、馬鹿でかいリュックを抱えた変わり者に興味を示し、ひとりの男の人が近づいてきた。「何でひとりで、何をしに行くのか」・・・・・何だかんだ話をしているうち、すっかりと打ち解けた二人は、ビールをおごり、おごりあい、新妻そっちのけで小宴会!!! なにしてんねん!!! その人たちは、1時間ほどでハネムナーのメッカ「マナアイランド」に降り立って行った。ニコニコ手を振る大阪出身のケンさんを見ながら成田離婚なんてことにならないよに~と、僕はひそかに祈っていた。
目的の島についても、この風変わりな日本人は注目を浴びていた。コーディネーターの粋な計らいで、日本人のパックツアーでは使用しない島を紹介してくれた。
これよこれ!! 僕が望んでいたシチュエーションは!!! ただひたすら、波音を聞きながら海岸に寝そべり、好きな音楽を聴きながら、読書をする・・・・・も~、贅沢独り占めっ!!!
ただ、邪魔はそんな時でも入る。現地の人、その島のスタッフだ。殆どが女性なのだが、彼女らはアイランダー独特の風体。髪はくるくるの天然パーマ、身体はやたらにでかくて、ちょい威圧感さえ感じる。そんな人たちが、サービスの一環かひとりの僕にことあるごとに話しかけてくる。
「ぶら~^^(現地語で、挨拶は全てこれひとつだOK)」やれ、もうランチは食べたかとか、アレをオーダーするといいとか、フィッシングツアーがあるから行ってこいとか・・・・・多分、優しさなのだ。でも、ほっちょいてくれー!! 僕はその親切心をことごとく無視し(ごめんね~)ただひとりの時間を、黙々と、そして粛々と、さらにまったりと何もせずに過ごした。
いかんせん、リゾートアイランドの宿泊費はめちゃ高い。そんなに何日も泊まってはいられないので、後ろ髪を引かれながら、僕は本島へのフェリーへと乗船した。夢のひと時はこんなもんでいい。あまり長くいると、ありがたみは薄れる。美味な料理は、腹いっぱい食べないからうまいし、また食べたくなるのだ。そう自分に言い聞かせながら、トレジャーアイランド後にした。
「さて、今日のお宿をさがさなきゃな」そんな時、いかにもインド人なサムが、「ヘイ、フレンド! どこ行くんだい!?」と話しかけて来た。出たよ、インド人独特の根拠のないフレンドリー挨拶。こんなところで、またインドに遭遇しようとは思ってもみなかった。サムはタクシー運転手。ホテルを探してるのなら、乗っていけという。そんなもん、俺はインド体験者だぜ。口車に乗ってなるもんか!! とは思ったが、ちょっとにくめない顔をしている。こんなのに着いていくと危険があぶない!!! そう思いながらも、平和ボケ、俗物図鑑な僕はまんまと、夏の虫になって火に自ら飛び込んでいったのであった。ででん、でんでん!!!
サムのタクシーに乗った僕は、安ホテルの密集(といっても、5,6件)する町へと向かっていた。
S「昼飯は食ったのか?」
「うんにゃ、まだだよ」
S「じゃあ、うまい中華料理屋に連れて行ってやる」
そう言うと、サムは強引に小汚いチャイニーズレストランに車を止めた。で、あれよあれよと言う間に、着席、オーダー・・・・・気が付くと、結構な量の料理がテーブルに並んだ。ビールまである。お、気が利くじゃんと思っていると、サムは自分のグラスになみなみとビールを注ぎ込み、プハーッ! え、え、えっ? おいおい、幸せそうな顔してんじゃないよ。お前運転は? 昼間から、仕事中に客の目の前でぷはーはないだろ。この不良インド人めが!!
ま、もうなるようになる。腹をくくって、僕もビールをプハー! 久しぶりのアジアンテーストを堪能した。店構えの割には、とてもおいしく、大変満足させていただいた。
S「お前、うちに泊まれよ」
「ありがとう。でも、いいよ。やっぱホテルに連れて行ってよ」
S「何でだ。もちろん金は要らないよ。心配も要らない」
「・・・・・・・」
S「家には、二人の息子と娘、3人の子供達がいる。ぜひ、そいつらと遊んでやってくれ」
「(金は要らないって、さっきの昼飯代、俺がおごったんだぜ)・・・・・」
S「そうだ。今日の夜、シティーで祭りがある。それにも連れて行ってやる」
「(それはなかなかない体験だ。ま、命までは取られはせんだろう)わかった。頼むよ」
ついに、僕は口車にのってしまった。
次に連れて行かれたのが、町にひとつだけあるスーパー
S「金は要らないから、俺の奥さんと子供達に土産を買ってやってくれ」
「いいよ(一宿一飯の恩義か・・・・)」
S「このホールチキンでカレーを作ろう。野菜は、オニオン、トマト・・・・。そういえば、米とアタ(全粒のパンを作る粉)がなかったぞ。これでうまいチャパテイーを食わせてやるぞ」
「おお、こんなところで、インド料理が頂けるなんてありがたや!」
S「そうだ、デザートもいるな。アイスクリーム(2リットル入ったでかバケツ)とコーンと・・・・・・」
「えらい奮発するな~。ところで、俺はどんなものをお土産に買えばいいの?」
S「何言ってるんだ。これだよ」
サムは、買い物籠に一杯になった食材を指差しながらそう言った。なにぃーっ! やはり恐るべしインド人・・・・・僕はうなだれた。これだけ買ったら、ホテル代よりも断然高いじゃん!!! ちょっといいコテージにだって泊まれるぜ。うがははっ・・・・・・
そういえば、この店で歌手の吉幾三さんを目撃。多分ゴルフで滞在されているのだろう、真っ黒に日焼けし、たくさんの買い物をしておられた。あのでかい声である、遠くにいても、その存在を知る事ができた。あはは・・・・・・、東京さいくだぁ~♪
サムの家は、シティから車で30分ほど離れた小高い丘の上にあった。自分で「俺は貧乏だ。本当はうちを見られるのも恥ずかしい」としつこく言っていたが、確かに、いわゆる掘っ立て小屋であった。うちに着くなり、3人の子供、奥さんとご対面。息子二人は双子で実によく似ている。とても利発そうだ。下は女の子。青洟をたらしたまま、僕に抱きつこうとする。ひえ~っ! 奥さんは、まさにインドのおカーちゃん。どしっとしていて、貫禄がある。
う~ん、なかなかおもしろいことになってきた。危険とは背中合わせだが、これだからひとりバックパック旅はやめられない。
サムはまず、シャワーを勧めてくれた。しかし、サムの家にはそんなものはない。トイレだってない。そういったものは、すべて、一段上の丘にある親戚のうちの施設を利用させていただくのだ。
お言葉に甘えて、僕はシャワーを使わせていただいた。しかし、コックをひねってもお湯どころか水滴ひとつ落ちては来ない。2,3分後、雨だれのような水が垂れてきたが勢いは待てど暮らせど、一向に強くはならない。ま、いいか。南国の太陽に照り付けられ、火照っていた僕の身体には、その1滴1滴がとても気持ちよかった。
さて、待望の夕飯だ。サムのうちの台所にはガスなどない。その代わり、竃がある!! なつかしい!! バーちゃんちにあったよな。バーちゃんは茶粥が大好きで、つねにその竃にはぐっぐつ茶粥が煮立っていた。僕は学校帰りにバーちゃんちによって、時にはサツマイモの入ったあっあつのおかいさんを頂くのが大好きだったな~。な~んてことを考えていると、正しいインドカレーは魅惑の香りを放ち始めた。『これよ、これ!!』正統派、チキンカレーだ。きちんとチャパテーも添えられている。 『むがっ! 辛いっ!!』全身から、特に頭皮からあせが噴出す。でも、南国で食べる極辛、絶品だ。僕は大変満足した。
夕食後、二人の息子、僕とサムとでシティーの祭りへと出かけた。このお祭り、観光客が参加できる類のものではない。それが証拠に、日本人とういか、醤油の顔をした人間は皆無。デミグラスとか、濃厚ソースとか、フォンドボーとかとにかく、こゆい顔の人たちしかいない。(とっても、インド系が多い事に気づく。あとは、アイランダー。白人がちらほらといったところか)
祭りの会場となっていた広場には、無数のテントが張ってあった。サムはまず僕を、そのうちのひとつに案内してくれた。入場料(?)を払って中に入ると、複数の男達が車座になって座っている。笑うわけでなく、議論しているわけでなく、ただだまって座っている。「なんじゃこりゃ?」サムに聞こうとすると、杯らしきものが回ってきた。すると、誰かが音頭を取ったわけでなく全員で「パン、パン」と手拍子がたたかれ、ホストと思しき男が、ひとりの男を指差した。すると、男が持っていた杯に透明な液体が注がれ・・・・それを一気に飲み干したかと思うと、また手拍子、指名、一気飲み、が繰り返される。
ここは、酒を飲むための場所。注がれた液体は、カバという植物の根からできた現地酒なのだ。どういう歴史的・宗教的背景があるかは定かではないが、その儀式的宴会は淡々と粛々と続いていく。
現地の人々の中のたった一人の東洋人。とがめられたり、怪訝な顔をされたりという事は一切なかったが、やたら僕は指名された(様に思う)。ま、自分が逆の立場なら『なんや、こいつは? 面白そうやから、しこたま飲ませてみたろ~』と思うかもしれない。10分程度だったろうか、僕は少し酔った。カバというお酒、飲みにくいわけではないので、言われるがままに杯を重ねていたが、アルコール度数はそこそこ高いようだった。
テントを出た僕は、ほろ酔い気分でサムの後をついて行った。酔いがさめるほどの恐怖が自分を待っているとも知らずに・・・・
次にサムが連れて行ってくれたのは、アトラクション会場。といっても、デズニーランドなんかを想像してはいかんよ。だって、ここはフィジーだもの。
移動遊園地なんだろうけど、どれも手作りっぽい簡単な作りの遊戯具がたくさんおいてある。中でも一番目を引くのが、観覧車的な遊具。高さ約20メートル、付いてるゴンドラというか、スキー場のリフト的なベンチが10いくつくっついている。見た目はち~とも怖くない。むしろ、「ナンじゃ、こりゃ?」くらいのしろものなのだ。しかし、あなどってはならなかった!!
さむが、「息子二人とのってやってくれ」というので、二つ返事で乗り込んだのだが・・・・さいしょは、よかった。ところが、ものすごいスピードで回るではないか!! 先にも書いたが、作りは決して頑丈ではない。一部分金属は使われているが、殆どが木なのだ。シートベルトなどあろうはずもない。しかも、回転するたびに、土台部分がめきめき音を立てる。それがさらに恐怖をあおった。
さらに! 猛スピードで回っていたある種の絶叫マシーンが、ぴたっと止まった。なんと、回転軸に巻きついていたロープが絡まったというのだ。よく見ると、それって縄じゃん! しかも、ところどころ擦り切れてるジャン!! ロープを元に戻す間、僕らは宙釣状態になっていた。
「もういいよ。おろしてくれよ!」サムに叫ぼうとしたが、2人の子供達はキヤッキャ騒いでいる。大喜びなのだ! おまいらには恐怖心はね~のかっ!! そして5分後。ましーんはまたものすごいスピードで回りだした。安心材料などなにもない。僕は、顔を引きつらせながらただひたすら耐えた。日本円で100円そこそこで、いいようもない恐怖を約15分も楽しんだ・・・・楽しむかっ!! でも、無事で生還できて何より何より。サム宅に向かう頃にはカバ酒の酔いはすっかりと覚め、むしろ、悪酔い気味の酸っぱいなにかが下から込み上げてきていた。
その夜は、無数のビースト達に悩まされた。
サムの家は、お世辞にも綺麗とはいえない。隙間というレベルでは片付かない「あいだ」がそこら中にある。その小屋は草むらに囲まれているので、夜のみならず昼間もがんがん得体の知らない虫どもが遠慮なしに侵入してくる。
サムが僕に提供してくれたのは、いつもは彼自身が寝るというベッド・・・・といっても、板の上にござの様な物が敷いてあるだけのスペース。そこを有難く拝借した。
フィジーは常夏。夜だってもちろん暑い。だから、ブランケットなど必要ない。だってサムのうちにはクーラーはもちろん、扇風機はおろか団扇でさえない。僕が子供のころは、まだこんな状態だった。家の窓という窓を開け放ち、寝室に蚊帳を吊って寝たいた。冷房? 団扇だよ。自分がしばらくは頑張ってみるのだが、すぐにパワーを失って、母親に「あおいでくれ」とせがんだものだ。今から考えると、ようそれで眠れたよな~。だけど、当時はそれが当たり前で(というか、快適な状態での睡眠を知らなかっただけなんだろうが)、正しい日本の夏の一こまであった。今でも、その光景とグルグル巻きの蚊取り線香の匂いは、深く記憶に残っている。
しかし! サムのうちには蚊帳なんて物はない! 蚊取り線香だって言わずもがなだっ!! 暑いので、布団(といっても、自前のバスタオル・大判)はかけたくない。でも、皮膚をさらすともすきーちゃんが一斉攻撃をしかけてくる。しょうがないので、顔だけ出してタオルにからだを包み込む。すると、もすきーちゃんたちが顔周辺、特に耳あたりに集結し「ぷぅ~~~~んっ!」というあの独特の羽音をこれでもかっ! と浴びせかけてくる。
それを何とかやり過ごしたとしても、いままであまり味わった事のないもぞもぞ感を、ベットと体の接地部分に感じる。な、なんじゃっ?! 飛び起きると、甲虫軍団がそこにおいでなさる。そう、僕、屋外の岩の扱いなのだ。屋外の石をどっこらしょ、と起こすと、ミミズやら甲虫類やら、団子虫の類やらが「な、な、んんあんだよっ。まぶしいじゃね~の!!」と逃げ惑うが、あの光景が、現実に僕の体の下に起こっていたのだ。
あかん、眠れんワイ!! 仕方ないので、本を読んだり(かいちゅうでんとうの光でね)おしっこ・・・・・そう、トイレは外なのだ。当然外灯などない。真っ暗な道・・・・ではなく草むらをかき分け、やっとこさトイレにたどり着いても、照明などあろうはずもない。しかも中は、穴に板が渡してあるだけの簡単な作り。足を踏み外せば大惨事だ。
さらに、トイレ、夏、夜更けといえばつきものがお化け。そんなものは当然存在しない、そんな事は分かっている。でも、何か妙にこわい。花子さんや足のない柳の下の幽霊はメイドインジャパンだからいそうにもないが、もっと違った類のクリーチャー(多分本当にいたら、今まで遭遇した事もない様なものなんだろう。だって、ここはフィジーだもん)が出現するに違いない。なんてことを考えてしまうほど、静かで不気味に暗い密室であった。
しかし、当然だが何にも出ませんでした。当たり前だけど・・・・・。
やはり、寝れませんでした、その夜は。修行がたりんよね・・・・・。
隣の部屋からは、サムのいびきが聞こえます。たくましいよね・・・・・。
明日は、日本に帰んなきゃね。ホリデーはいつか終わるのさ・・・・・。
ああ、夜ってながいな~~~~~~。
今日は、いよいよ日本に帰らねばならない日。僕は、寝不足の目をこすりながら、キッチン兼居間兼玄関兼食堂へと足を運んだ。
テーブルには、インド風焼き飯、ビリヤ二が乗っかっている。
インドの人たちは、カレーと同じように焼き飯もよく食べる。インドネシアにもナシゴレンだっけミーゴレンだっけ、有名なスパイシー焼き飯があるが、インドのはまたちょっと違う。これはこれで、大層うまい! ピリッと辛くて暑いときにでもガッツリいけてしまう。
大体僕は、朝ごはんを欠かした事がない。さらに、朝からステーキを食えと言われても何の問題もない。家にいるときも朝からどーんと食べるが、旅行で旅館やホテルに泊まって何が楽しみかと聞かれたら、迷わず朝食バイキング! と答えるほど朝飯命!!! なのだ。
そんな僕には、この朝食は何よりのメニュー。ガッツリと2杯も頂いた。インド風の紅茶、チャイを飲みながら・・・・・う~ン最高っ。
食後、サムが「頼みがある」と言いにきた。「日本人の知人に手紙を書きたい。相手は、英語があまり堪能ではないので、俺が言ったことを日本語に直して、お前が書いてくれ」という。僕だって、英語は堪能ではございません。でも、一生懸命やった。でも、とっても難しかった。
手紙は書き手の気持ちを文章にする。サムが言ったせりふをそのまま日本語に直すと、実に味気ない文章になってしまうのだ。サムからも、感謝の気持ちをこめて書きたいというアツさを感じる。でも、それをなかなか文章に表すことができずに、とっても苦労した。
いよいよ別れのときだ。サムは玄関口にゴザを引き、ここに座れという。そして、カバの酒を僕に勧めてくれた「お別れだ、フレンド。フィジースタイルで、お前を送り出してやる」サムの目は真っ赤だ。僕は胸が熱くなった。中華料理を奢らされ、食材を買わされ、出会えた記念と僕が一番気に入っていたTシャツも半ば強引に奪われたけど、とってもいい体験をさせてもらった。
別れが辛かった・・・・・
子供達も「アンクル、アンクル!」といってまとわり付いてはなれない。
まだ帰りたくない・・・・
でも、飛行機は待ってはくれない。
まさにウルルン滞在記。あの番組を見る度に、僕はサム一家とフィジーの青い海を思い出す。
また、いつか、必ず・・・・・
後日談。サムから手紙が来て、「子供達が野球をしたいというので、バットとボールとグローブ3個ほしい。あと、嫁のバースデーにプレゼントをしたい」
なにぃ? 野球道具はいいにして、誕生プレゼントまで僕にたよるた~、天晴れインド人よの~~~~~~!!! やはり、あなどれない・。